富樫勇樹の父は開志国際高校バスケ部監督!身長や年齢も!

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”富樫勇樹の父親”で知られている、富樫英樹さん。

バスケ強豪校の開始国際高校バスケットボール部の監督をされ、学生バスケットボール界では知らない人はいない程有名人です。

富樫勇樹選手は小柄ですが、父親である富樫英樹監督の身長も低かったのでしょうか?

また、年齢などプロフィールも気になりますね。

富樫勇樹監督のこれまでの経歴や、プライベートのことまでリサーチしました。

この記事でわかること

富樫勇樹の父は開志国際高校バスケ部監督
富樫勇樹の父の身長や年齢などプロフィール

最後までご覧ください!

それでは早速本題へ参りましょう。

\バスケワールドカップ日本代表を応援しよう!!/

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富樫勇樹の父は開志国際高校バスケ部監督

富樫勇樹選手の父親は、富樫英樹さん。

開志国際高校でバスケ部の監督をされています

富樫勇樹選手の父親の顔画像はこちら▽

https://4years.asahi.com/article/14804833

富樫勇樹選手の父親、冨樫英樹さんの経歴を見てみましょう!

経歴まとめ

・2008年、息子(冨樫勇樹選手)を擁して親発田市立本丸中学校から、全国中学校バスケットボール大会優勝へ導く
・2014年、国試国際高校が開校時、男子バスケットボール部の指揮者就任
・2018年、東海インターハイ創部5年目にして初制覇
 →男子バスケットボール指揮者としては、中学・高校で全国制覇したのは初
U –16日本代表ヘッドコーチ就任を果たします。

ご自分もバスケに関わり続け、息子の勇樹さんもバスケの道に進まれました。

息子の勇樹選手と一緒に日本一を成し遂げ、そのチームでの練習も想像を絶する厳しさがあったでしょう。

又、日本一を取るチームは相当厳しく緊張感のある練習や雰囲気があるのではないかとイメージがあります。

ですが、富樫英樹監督は少し違ったようでこんなコメントが見られました。

なかなかこのような感想を持って試合を観る方はいないと思いましたが、Twitter他SNSにはこのような感想がたくさん載せられていました。

主体が選手であり、それぞれの想いを汲み取りながらチームを築き上げてきたことは言うまでもないようです。

富樫英樹監督 指導者時代

日本体育大学卒業後は、教員として長岡市立江陽中学校に赴任しました。

冨樫英樹氏が最初に監督に就任したのは、長岡市立江陽中学校女子バスケットボール部でした。

最初は「全国大会に出場できればな…」ぐらいの想いで指導に当たっていましたが、ある出会いをきっかけに冨樫英樹監督の目指すべき目標が変化しました。

当時共同石油(現・JX)で指導されていた中村和雄さんの講演会を受講する機会がありました。

講演会後の打ち上げの席での会話です。

中村さん:「(監督としての)目標は?」

富樫さん:「全国大会出場」

中村さん:「違う。日本一以外いらないんだ

この一言で冨樫英樹監督は、考え方や意識が全く変わったそうです。

当時を振り返って、「不思議なことに指導者の意識が変わると、生徒たちも変わる」と話していました。

そこから約3年後の1996年には豊栄市立木崎中学校を率いて、全国大会準優勝を経験しています。

その後は、このような経歴を残しています。

・新発田市立本丸中学校で全国大会に10度出場
・2008年、息子の富樫勇樹選手との親子鷹で、初の日本一を達成
・2010年、2度目の全国大会優勝
・2011年、U-16日本代表のヘッドコーチを務めアジア3位に貢献
・2014年からは創設されたばかりの開志国際バスケットボール部の監督に就任
・5年目の2018年にインターハイ優勝へ導く

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富樫勇樹の父・身長や年齢などプロフィール

富樫勇樹選手の父親は、富樫英樹監督の身長、年齢を含めたプロフィールを紹介します。

当時のポジションもご紹介していきたいと思います!

富樫英樹監督の身長

父親の英樹監督の身長は170cmでした!

一般的には平均的な身長だと思いますが、バスケ界で言ったら、確かに低いと言われるかもしれませんね。

ちなみに富樫勇樹選手は、バスケ界では身長が低いと言われています。

富樫英樹監督の年齢

富樫英樹監督は、今年(2023年)で還暦を迎えました!

還暦を迎えた今尚、バスケットボール部の監督として活躍されています。

富樫英樹監督・プロフィール

氏名:富樫英樹(とがし えいき)
生年月日:1962年5月19日
年齢:60歳(2023年)
身長:推定170cm前後
出身:新潟県村上市
経歴:新潟県立村上高等学校→日本体育大学

現在は開志国際高校のバスケ部監督をされていますが、現役時代の富樫英樹監督はどのような選手だったのでしょうか?

富樫英樹監督の当時のポジションはポイントガードでした。

地元の新潟県立村上高等学校を卒業し、日本体育大学へ進学します。しかし、強豪日本体育大学では3軍だったそうです。

その頃から、卒業後もバスケに携わっていくために教員を目指すようになったと話されていました。

日本体育大学時代の同期チームメイトには、福岡第一の井手口孝監督も居たそうです。

富樫英樹監督・家での顔

選手一人一人のことを、我が子同然のように扱っていると言う富樫英樹監督。

家ではどのような人物なのでしょうか?

奥さんからは、「家では無口な人だった」と情報が上がっています。

メディアや選手達とのコミュニケーションは積極的にしていたようですが、その反動なのか、家ではほとんど無口だったそうです!

ただ、無口というだけで、家族同士の仲が悪かった訳ではないようです!

恐らく、ただ単に教師の仕事と部活動で家に帰る頃にはエネルギーを使い果たしていたのだと思います!

「子供の行事や、休みの日に出掛けた記憶がない」という家族からのタレコミが…

それでも、バスケに携わる父親を家族は理解して生活していたのですね!

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まとめ

今回は、「富樫勇樹の父は開志国際高校バスケ部監督!身長や年齢も!」と題してご紹介しました。

日本代表のキャプテンや過去にNBAにも選ばれた経験のある富樫勇樹選手の父親、冨樫英樹氏は、今でも現役のバスケットボール部監督です。

心を動かす出会いによって、富樫英樹監督の物語が始まります。

選手一人一人のことを家族のように大切にし、個々の才能を発揮しやすいチームの雰囲気作りを行なっているところも素敵だと思います!

そして、富樫英樹監督は今年で還暦を迎えました!今のところ引退はまだまだ考えているといった情報は出回っていません。

今後も息子である富樫勇樹選手と共に活躍して欲しいです!

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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