名門大阪桐蔭高校で3年生エースなのが、平嶋桂知(ひらしまかいち)選手です。
平嶋桂知選手は、MAX154km/hのストレートを武器にプロも注目する投手の1人です。
今年のドラフトで上位候補ともいわれる平嶋桂知選手の家族構成や経歴について気になる高校野球ファンも多いのではないでしょうか?
平嶋桂知選手の家族については、父が平嶋浩一さん、母が平嶋亜希子さんという名前で、名前以外の情報や兄弟がいるかどうかの情報はありませんでした。
この記事では、平嶋桂知選手の家族や出身中学、野球経歴についてまとめていきます。
- 平嶋桂知(ひらしまかいち) 家族構成は?
- 平嶋桂知(ひらしまかいち) 出身中学は?
- 平嶋桂知(ひらしまかいち) 野球経歴は?
平嶋桂知の父母など家族は?
平嶋桂知(ひらしまかいち)選手の家族構成に関する情報は調べてみましたが、ありませんでした。
分かった事は、平嶋桂知選手の父親の名前が平嶋浩一さんで母親が平嶋亜希子さんという情報だけでした。
名前だけで年齢とか職業とかも明らかになっておらず、他に兄弟がいるのかもわかりませんでした。
平嶋桂知選手が一人っ子の可能性もありますし、他に兄弟がいるかもしれません。
もし兄弟がいたら、平嶋桂知選手は身長が187cm、体重が86kgと恵まれた体格をしているので、兄弟もなにかしらのスポーツをしているかもしれませんね!
また、母親である亜希子さんが新聞のインタビューで、親族の多くが野球経験者と語っているので、小さい頃から身近に野球がある環境で育ってきたことが予想できます。
平嶋桂知の出身中学
平嶋桂知(ひらしまかいち)選手は、東京都中野区にある中野区立南中野中学校出身です。
中学時代の平嶋桂知選手は、中学の野球部には所属せず、硬式球を使う稲城リトルシニアで野球をしていました。
中学時代から硬式球を使うリトルシニアでプレーをしていたという事は、将来のプロ入りや甲子園に出場することを目標としてプレーしていたことがわかりますね!
中学卒業後は、地元である東京を離れ、大阪の名門校大阪桐蔭高校に進学します。
平嶋桂知の二刀流での経歴
ここでは平嶋桂知(ひらしまかいち)選手の野球経歴についてまとめていきたいと思います。
投打の二刀流としていつまでやっていたのかも含めてまとめます。
小学生時代
小学1年生から野球を始めた平嶋桂知選手は、小学4年生の時に久我山イーグルスに入団します。
入団した時から投手を始め、小学5年生の時には全国大会で登板するという経験を積んでいます。
小学生時代は、硬式野球ではなく、軟式野球をしていた平嶋桂知選手は、軟式野球で野球の基礎をしっかりと身に着けたようです。
小学生時代は、チームのエースで4番という二刀流でチームの中心選手として活躍していました。
中学生時代
中学に上がった平嶋桂知選手は、軟式野球の中学の野球部に入部せず、硬式野球の稲城リトルシニアに入団します。
中学から硬式球を使うリトルシニアに入団したという事は、甲子園やプロ入りを見据えた目標があったからだと予想します。
中学3年生の時には、キャプテンでエースで4番というチームの中心選手としてチームを全国大会ベスト4に導く活躍をしています。
中学時代までは、投手としても打者としてもチームで一番で投打の二刀流で活躍していました。
高校入学~現在
中学卒業後は、甲子園常連校で名門校の大阪桐蔭高校に入学します。
東京出身の平嶋桂知選手は、地元を離れ、大阪で寮生活を送ることとなりました。
寮生活に不安を抱えながらも自身のレベルアップのための進学だったと言えます。
名門校である大阪桐蔭高校には、全国からそれぞれのチームでエースで4番だった選手が集まってきており、高校入学後は二刀流ではなく、投手に専念する道を選びます。
投手に専念した平嶋桂知選手は、1年生の秋からベンチ入りし、地方大会や甲子園でも登板する機会が与えられ、2年生の秋からはチームのエースとして、春の選抜甲子園、夏の甲子園出場に大きく貢献しています。
3年生の現在は、MAX154km/hの伸びのあるストレートを武器に、Uー18全日本候補合宿や今年のプロ野球ドラフト会議で注目される高校球界屈指の投手にまで成長しています。
まとめ
ここまで、夏の甲子園に出場する大阪桐蔭高校の3年生エース平嶋桂知(ひらしまかいち)選手のちちおやや母親といった家族構成や出身中学、野球経歴についてまとめて来ました。
平嶋桂知選手の家族構成に関する詳しい情報は色々と調べてみましたが、ありませんでした。
わかった事は、父親の名前が平嶋浩一さんで母親の名前が平嶋亜希子さんという名前だという事だけでした。
また、母親である亜希子さんの話では、親族の多くが野球経験者と語っていて、平嶋桂知選手は小さい頃から野球に触れる環境で育ってきたとわかります。
東京都中野区出身の平嶋桂知選手は、地元の公立校である中野区立南中野中学校出身で、中学時代は、野球部ではなく、硬式球を使うリトルシニアのチームに所属していました。
平嶋桂知選手は、この頃には甲子園やプロ入りを意識していた可能性が高いです。
小学1年生から野球を始めて、小学4年生の時に入団した軟式野球チーム久我山イーグルスで本格的に投手を始めた平嶋桂知選手は、小学5年生の時には全国大会に出場し、登板しています。
小学校卒業後は、軟式野球から硬式野球に転向し、中学3年生時には、所属していた稲城リトルシニアで、キャプテンでエースで4番とチームの中心選手として全国大会ベスト4入りに貢献しています。
中学までは、打撃に関してもチームでトップクラスで投打の二刀流として活躍していたようです。
高校は地元東京を離れ、大阪の名門校大阪桐蔭高校に入学し、全国からエースで4番という選手が集まる高校なので、投手に専念するという道を選びました。
大阪桐蔭高校では、1年生秋からベンチ入りし、2年生の秋からはチームのエースとして活躍している平嶋桂知選手は、高校3年生になった現在、最速154km/hのストレートを武器にプロにも注目される選手となっています。
夏の甲子園でもストレートを武器に活躍する平嶋桂知選手に期待しましょう!
- 平嶋桂知(ひらしまかいち) 家族構成に関する情報はありませんが、父親は平嶋浩一さん、母親は平嶋亜希子さんという名前だけ情報がある
- 平嶋桂知(ひらしまかいち) 東京都中野区にある中野区立南中野中学校出身
- 平嶋桂知(ひらしまかいち) 小学1年生から野球を始め、小学4年生の時に久我山イーグルスに入団し投手に、中学時代は稲城リトルシニアでエースで4番でキャプテンを務め大阪桐蔭高校に入学した