2023年8月31日14時から、9月に行われる国際Aマッチデーに臨むサッカー日本代表メンバーが発表となりました。
9月9日(日本時間9月10日)にドイツでドイツ代表と9月12日にベルギーでトルコ代表と対戦する日本代表は、ヨーロッパの強豪国との試合という事もあって、メンバーも三苫薫選手や久保建英選手、遠藤航選手等、カタールワールドカップや所属クラブで活躍している選手が順当に選ばれています。
そんな中、日本代表に初選出されたのが、セレッソ大阪に所属し、右サイドバックや右サイドハーフを主戦場として活躍している毎熊晟矢選手です。
普段、日本代表の試合や海外サッカーしか見ないといったファンの方は、どんな選手なのか?なのか分からないと思います。
現在、リーグ戦で好調なセレッソ大阪において、抜群の運動量で右サイドを上下動し、活躍しているのが、毎熊晟矢選手です。
この記事では、毎熊晟矢選手の事を深掘りし、出身中学や高校、プレースタイルについてまとめていきたいと思います。
この記事を見て、日本代表に初選出された毎熊晟矢選手についてどんな選手なのか注目していきましょう。
- 毎熊晟矢 出身中学は?
- 毎熊晟矢 東福岡高校出身?
- 毎熊晟矢 プレースタイルは?
毎熊晟矢の出身中学
大分で生まれた毎熊晟矢選手は、小学校の時に長崎へ転校しています。
5歳からサッカーを始め、大分に住んでる頃は、大分トリニータのサッカースクールに通っていたようです。
長崎に引っ越してからは、黒髪FCジュニアでサッカーを続け、その後、JFC長崎レインボーに移ります。
中学生の時には、FOOTBALL CLUB BRISTOL U-15という街クラブでプレーをしていたようです。
肝心の毎熊晟矢選手の出身中学は、長崎市立渕中学校という所です。
渕中学校は、長崎に原爆が落とされた時、爆心地から一番近い学校だったようで、校舎は鉄筋コンクリートで出来ていたにもかかわらず全焼し倒壊したと言われています。
当時は、学徒動員で中学生でも軍需工場で働かされていたりしたこともあり、中学校として機能していませんでしたが、学校関係者で、現場にいた人の大半が亡くなっています。
渕中学校の卒業生で有名な人は、毎熊晟矢選手だけではなく、福岡ソフトバンクホークスの増田珠選手、あの福山雅治さんも渕中学校出身です!
毎熊晟矢の出身高校は東福岡
毎熊晟矢選手は、渕中学校を卒業後、福岡にある高校サッカーの強豪校である名門東福岡高校に進学します。
毎熊晟矢選手の年代は、史上最弱ともいわれていた年代で、その中でも毎熊晟矢選手は周りのレベルが高く、試合に出れるようになったのは、高校3年生になってからでした。
ですが、毎熊晟矢選手の年代は、史上最弱という周りの評価をバネに努力を重ね、高校最後の年である2015年は、東福岡高校がインターハイ、選手権の2冠を達成し、終わってみたら素晴らしい成績で高校時代を終えました。
インターハイでは、主力として試合に出ていた毎熊晟矢選手でしたが、選手権前に怪我をしてしまい、選手権では、ほとんど出場できずに終わりました。
プロの世界を目指していた毎熊晟矢選手ですが、高校卒業時には声がかからず、東福岡高校の憧れの先輩が進学した桃山学院大学に進学します。
桃山学院大学時代も、1年生の時にはベンチ外だったりと目立った成績は上げられませんでしたが、その後頭角を現し、Uー19学生選抜等に選ばれるようになり、卒業後は、地元長崎のV・ファーレン長崎に入団し、2022年にC大阪に移籍して、現在に至ります。
毎熊晟矢のプレースタイル
毎熊晟矢線湯がどんな選手なのかと一言で表すと、運動量豊富な超攻撃型右サイドバックという言葉が当てはまります。
この部分も含めて、毎熊晟矢選手のプレースタイルを見ていきたいと思います。
豊富な運動量で攻守両面で活躍
毎熊晟矢選手は、豊富な運動量を武器に右サイドを何度も上下動し、攻撃時には、敵陣奥深くまで切り込みチャンスを演出し、相手チームのカウンターにもいち早く守備に戻り、相手の攻撃を食い止める等、攻撃面でも守備面でも右サイドで効果的に動ける選手です。
その豊富な運動量とFWをやっていた経験と読みで相手の動きを封じ、攻撃時には、その経験を活かした攻め上がりが出来るのも特徴です。
高いドリブル技術と正確なクロス
ドリブルの技術が高く、緩急をつけたドリブルで相手を翻弄し抜き去っていきます。
足元の技術もありますが、相手との間の取り方、緩急のつけ方だけで相手を抜く姿は、見ていて声が出るほどです。
また、正確なクロスが武器で、ドリブルをしながらでもルックアップをしっかりしていて、技術だけではなく、味方と敵の位置をしっかりと確認してからクロスを入れているので、正確なクロスとなっています。
DF、MF、FWとどのポジションもこなせるユーティリティさ
毎熊晟矢選手は、学生時代FWとして活躍していて、V・ファーレン長崎にもFWとして入団しました。
ですが、当時監督を務めていた手倉森監督から右サイドバックへのコンバートを勧められ、右サイドバックに転向しました。
サイドバック転向からわずか3年で日本代表に選出された毎熊晟矢選手は、サッカーセンスとサッカーIQが高い選手だという事がうかがえます。
学生時代にFWをずっとやっていたので、前線でのプレーもこなせ、DF、MF、FWと右サイド全てのポジションをこなせるユーティリティプレイヤーです。
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まとめ
ここまで、9月に行われる国際Aマッチデーでサッカー日本代表に選ばれた毎熊晟矢選手の出身中学や高校、プレースタイルについてまとめてきました。
毎熊晟矢選手は、大分で生まれ、長崎で育ちました。
長崎市立渕中学校を卒業した毎熊晟矢選手は、長崎を離れ、福岡にあるサッカー名門校東福岡高校に入学します。
サッカー名門校の東福岡高校の中でも史上最もレベルが低いとの評価を受けていた毎熊晟矢選手の年代ですが、その悔しさをバネに高校3年生の時には、インターハイ、選手権の二冠を達成しています。
プロを目指していた毎熊晟矢選手ですが、高校卒業時には、どこからも声がかからず、桃山学院大学へと進学します。
1年生の時には結果は出ませんでしたが、徐々に頭角を現し、Uー19学生選抜に選ばれる等実績を残した毎熊晟矢選手は、大学卒業後は、地元長崎のV・ファーレン長崎に入団します。
入団後、FWから右サイドバックにコンバートされると、活躍の場が広がりチーム内での定位置も確保できるようになりました。
その後、2022年にはC大阪に移籍し、そこでも活躍をつづけ、2023年9月には、サイドバック転向からわずか3年での日本代表選出となりました。
持ち味である豊富な運動量を武器に日本代表で活躍する毎熊晟矢選手に注目です。
- 毎熊晟矢 長崎市立渕中学校卒業で、福山雅治さんと同じ中学校出身
- 毎熊晟矢 サッカー名門校である東福岡高校出身
- 毎熊晟矢 豊富な運動量を武器に右サイドを上下動する選手で、FW出身の経験お活かした守備や攻撃が持ち味