現在、筑波大学の2年生で、1年生の時から大学サッカー部のエースストライカーとして狩る訳しているのが、内野航太郎選手です。
内野航太郎選手は現在20歳ですが、パリオリンピック出場を決めたUー23日本代表にも飛び級で召集されることが多くあり、2023年9月に行われた杭州アジア大会では4得点を挙げてチーム得点王に輝く等、上の世代でも活躍できる期待の若手選手の1人です。
大学生ながら、Uー23日本代表でも通用する実力を持っている内野航太郎選手の出身高校や中学、経歴について気になるサッカーファンも多いでしょう。
内野航太郎選手は神奈川県出身で、地元の市立中学、県立高校を卒業しています。
中学、高校のサッカー部には所属せず、横浜F・マリノスのジュニアユース、ユースでサッカーをしていました。
この記事では、内野航太郎選手の出身高校や中学、サッカー経歴について詳しくまとめていきます。
- 内野航太郎 出身高校は?
- 内野航太郎 出身中学は?
- 内野航太郎 サッカー経歴は?
内野航太郎の出身高校
内野航太郎選手は、神奈川県横浜市にある神奈川県立荏田高校出身です。
荏田高校は、2017年まで県立高校では珍しい体育コースがあったスポーツが盛んな高校です。
特に陸上部、女子バスケ部、男女バレー部は全国大会によく出場する強豪となっています。
荏田高校の卒業生には、陸上選手やバレー選手、サッカー選手では日本代表にも選ばれたことのある永木亮太選手や芸能ではPUFFYの大貫亜美さんといった方々が卒業生に名を連ねています。
荏田高校にはサッカー部がありますが、内野航太郎選手はサッカー部には所属せず、横浜F・マリノスの下部組織である横浜F・マリノスユースでプレーしていました。
内野航太郎選手は、高校生の時に2種登録選手としてトップチームでもプレーしています。
内野航太郎の出身中学
内野航太郎選手は、地元である神奈川県横浜市にある横浜市立谷本中学校出身です。
公立の中学校のため、内野航太郎選手の自宅が谷本中学校の学区内であったという事が予想されます。
谷本中学校の卒業生には、J2清水エスパルスに所属している大前元紀選手やお笑い芸人のジョイマンの2人、歌手の秦基博さんが名を連ねています。
内野航太郎選手は中学時代もサッカー部に所属せず、横浜F・マリノスジュニアユースでプレーしていました。
内野航太郎の経歴
ここでは、内野航太郎選手のサッカー経歴を紹介します。
小学生時代
内野航太郎選手は、小学生の時に地元クラブのSCH.FCでサッカーを始めました。
SCH.FCは小学生、中学生、女子中学生のカテゴリーのチームを運営していて、ユースチームもこの先作る予定もあるクラブチームで、男女ともに激戦区である神奈川から全国大会に出場したこともある強豪です。
内野航太郎選手自身は全国大会出場の経験はありませんが、しっかりとした指導で基礎技術を磨いていました。
中学生時代
中学生になった内野航太郎選手は、小学生の時に所属していたSCH.FCのジュニアユースチームではなく、J1横浜F・マリノスの下部組織の横浜F・マリノスジュニアユースに入団します。
プロサッカー選手になるという夢のためにJリーグの下部組織に入団した内野航太郎選手でしたが、毎年全国大会に出場する強豪横浜F・マリノスジュニアユースでは、なかなか出場機会を得られず、1年生、2年生の時は、全国大会の登録メンバーにも選ばれることが出来ませんでした。
最後の全国大会となる3年生のUー15全日本クラブユース選手権では、FWとしてほとんどの試合に出場し5得点を挙げる活躍を見せました。
内野航太郎選手の活躍もあり、チームは全国大会ベスト4という素晴らしい成績を残しています。
中学生の時から全国大会でストライカーとしての片鱗を見せていた内野航太郎選手は、そのまま横浜F・マリノスユースに昇格します。
高校生時代
高校生になった内野航太郎選手は、横浜F・マリノスユースに昇格します。
中学生時代に横浜F・マリノスジュニアユースに所属していたとしても自動的にユースに昇格できるとは限らない中で、狭き門を潜り抜けて昇格しています。
高校1年生の時は、新型コロナウイルスの万円により、大きな大会の開催が少なく思うような経験を積むことが出来ませんでした。大変な1年を過ごした内野航太郎選手でしたが、高校2年生になると感染症対策の徹底で大会開催が可能となり、2年生ながら背番号9番でFWの定位置を確保するという成長を見せていました。
2年生ながらFWとして定位置を確保した内野航太郎選手は、プリンスリーグプレミアEASTで13得点を決め、得点ランクイング2位に、Uー18全日本クラブユース選手権では、予選リーグ敗退となりましたが、3試合2得点とストライカーとしての得点能力を発揮しています。
高校3年生となった内田孝太郎選手は、名実ともにチームのエースストライカーとして躍動し、驚異的なペースで得点を決めていきます。
最終的には、プリンスリーグプレミアEASTで21試合21得点という1試合平均1得点という長丁場のリーグ戦では驚異的な得点をたたき出し、Uー18全日本クラブユース選手権でも4得点を決め、チームの準優勝に大きく貢献しています。
これだけの活躍を見せた内野航太郎選手は、2種登録選手としてトップチームへの帯同も経験し、J1屈指のレベルの高さを誇るFW陣で揉まれました。
高校卒業後は、トップチームへの昇格の話も出ていましたが、昇格後はすぐ育成レンタルで下のカテゴリーチームでプレー経験を積むというような要項となっていたため、自分に足りない部分を見つめ直すことにして筑波大学へと進学を決めます。
大学入学~現在
筑波大学に入学した内野航太郎選手は、日本代表の三苫薫選手等を輩出している蹴球部に入部します。
1年生からエースストライカーというにふさわしい活躍を見せた内野航太郎選手は、BチームながらUー23日本代表メンバーで構成される杭州アジア大会のメンバーに飛び級で選ばれました。
杭州アジア大会では4得点を挙げて、準優勝に貢献した内野航太郎選手は、2024年4月に開催されたAFCUー23アジアカップのメンバーにも選ばれ、試合にも出場しています。
海外組も合流するパリオリンピックメンバーに選ばれるかどうかは微妙な所ですが、期待の若手ストライカーとして順調にステップアップしていることが分かります。
現在、大学2年生の内野航太郎選手は筑波大学蹴球部のコーチをしている元日本代表で海外経験もある平山相太コーチの指導の下、更なる成長が期待できます。
筑波大学の先輩でもある三苫薫選手のように海外でも活躍できる選手のなってほしいですね!
まとめ
ここまで、筑波大学の2年生で、Uー23日本代表に飛び級で召集されている内野航太郎選手の出身中学や高校、サッカー経歴についてまとめて来ました。
内野航太郎選手は、地元の学区内である横浜市立谷本中学校出身で、高校は神奈川県立荏田高校出身です。
中学、高校とサッカー部には所属せず、J1横浜F・マリノスの下部組織である横浜F・マリノスジュニアユース、ユースでサッカーをしていました。
サッカーを本格的に始めたのが小学生時代の時だった内野航太郎選手は、SCH.FCという街クラブでサッカーを始めます。
SCH.FCは、小学生年代だけではなく、ジュニアユースと中学生の女子チームがある街クラブで男女ともにプロサッカー選手えお輩出しているクラブです。
そこで、サッカーを始めた内野航太郎選手は、全国大会とかには未出場ながらも技術的な指導もあり、中学からはJクラブの下部組織である横浜F・マリノスジュニアユースに進みます。
横浜F・マリノスジュニアユース時代は、周りのレベルの高さから1、2年生の時は試合に出場することは出来ませんでしたが、中学3年生でFWの定位置を確保し、Uー15全日本クラブユース選手権ベスト4に貢献しています。
高校に入学した内野航太郎選手は、狭き門を潜り抜けて横浜F・マリノスユースに昇格します。
高校1年生の時には、新型コロナの影響もあり、大会自体の開催がホロン度ありませんでしたが、高校2年生からはFWとしての定位置を確保し、プリンスリーグプレミアEASTで13得点と得点ランキング2位となり、ユースのエースストライカーとして急成長していきます。
高校3年生の時には、プリンスリーグプレミアEASTで21試合21得点と驚異的な数字をたたき出し、2種登録選手として、試合には出ませんでしたが、JI屈指のFW陣がいる横浜F・マリノスのトップチームにも帯同しています。
高校卒業後は、トップチームへの昇格も打診されましたが、昇格後にはすぐに育成レンタルに出されることやトップチームで感じた自分に足りない部分を鍛えるために筑波大学への進学を決めます。
筑波大学入学後も1年生からチームのエースとして活躍し、Uー23日本代表に飛び級で召集っされ、2023年杭州アジア大会やAFCUー23アジアカップに参加する等、次代を担うストライカーとして期待されています。
筑波大学の先輩である三苫薫選手のように世界で活躍する姿が想像できるウチダ航太郎選手に今後も注目していきましょう。
- 内野航太郎 神奈川県横浜市にある神奈川県立荏田高校出身
- 内野航太郎 神奈川県横浜市にある横浜市立谷本中学校出身
- 内野航太郎 小学生の時にSCH.FCでサッカーを始め、中学高校とJ1横浜F・マリノスの下部組織である横浜F・マリノスジュニアユース、ユースに進み、トップチーム昇格も打診されたが、現在は筑波大学蹴球部でサッカーを続けている